葬式
母校に行ってきた。
しかし、誰もいなかった。
正門には草木が多い茂っていて、青錆の南京錠が私を睨みつけていた。
人っこ1人いない。
母校はなくなったわけではない。
移転したのである。
耐震工事が行き届いていないことが判明したその校舎は、ちょうど一年前より愛想をつかされ、今や廃墟と化していた。
高校時代は良い思い出がない。
県一の進学校だった。
割烹着みたく上半身が膨れて、それでいて機能性の低い女子の制服は、一目見るとその高校の生徒だと認識がなされた。
「勉強できるんだね」
その言葉の裏に隠された、勉強「しか」できないんだねというアイロニーに生かされる者、殺される者。その高校には両者が混在していた。
私は専ら後者で、散々な高校生活だった。
思い出すと反吐が出る。
ただ今日行った校舎は誰からも必要とされていないのにもかかわらず、凛とした佇まいで、その矛盾があまりにも滑稽だった。
それは火葬場で感じるそれにそっくりだった。
あんなにも苦しめられた、または苦しめた人生。それがものの小一時間で骨だけになる。
あまりにも滑稽だ。
脳みそも、肝臓も、胃袋も腸も、全部もともとあってないようなもの。
必要とされていなかったのである。
なんだ、人間ってたったこれだけのものか。
それから、人が「死ぬ」という事実に私は、非常に安堵するようになった。
今日感じたのはそれに近かったか。
ざまあみろ。