今日も悪夢に魘されて目覚める。
そんなことだから、最近寝るのが怖くなった。
自分が厭がることをよく知っている。
我ながらよくできた夢だと思う。
今までの嫌だった事とか苦しかった事が時系列を無視したまま、綯交ぜになって、一つの完璧なストーリーが創られているのだ。
就職活動中、いわゆる大人たちは、
口を揃えてこう言った。
「挫折を語れ」と。
挫折という名の困難を、
どう乗り越えてきたかというところに、
本来の人間性が見えるのだと。
私は困り果てた。
挫折を「乗り越えた」ことなんてないからだ。
かつての挫折は挫折のままとして、
しつこく私の悔恨として
私自身にこびりついている。
剥がしては血が滲み、剥がしては血が滲む、
瘡蓋の様に。
人は何かを乗り越えられるようにできているのだろうか。
乗り越えてもない挫折を
抱えたままの人間には、
人間性をも与えられないのだろうか。
就職する資格なんて、
生きる資格なんて、
ないのだろうか。
私は未だ挫折を携えたままである。
あの時のあの決別が
脳裏にこびりついて
離れない。
これを人は後悔と呼び、嘲笑うか?
挫折をサクセスストーリーに履き違えるな。
後悔を美化するな。
社会の歯車に乗っかってるようで、
実は内部に錆が生じ、
時と共に磨耗されていく。
そんな人生よりかは、
幾分マシな余生を送りたい。
今宵も悪夢に魘されようか。