人志松本の酒のつまみになる話で、空気階段の水川かたまりが自分の葬式で何をかけてほしいか、というのを話題に上げていた。
各々が思い入れのある曲を挙げていたが、自分がいない場所で自分が流す曲を選ぶっていうのはどこか違和感を感じた。
死んだのは自分だし、自分の葬式だから好きなようにしていいはずだが、肝心の自分がそこにいなければ、どんな曲をかけようが、それは関係ないではないか。
自分のために親交のあった人間が集まって、自分の好きだった曲を流し、自分のために涙するものもあり、自分のために手を合わせる。
しかし、当の本人はその光景を目撃することはできなくて、しまいには焼かれて亡骸になる。
下手な芝居もいいとこだ。
私だけが参加することのできない私の葬式にかけてほしい曲なんて私にはない。