いつまでこんな生活を続けるのか。
貯金が尽きれば自ら命を絶とうと思う。
祖母がいた空き家で。
首を吊って死のうと思う。
待てど暮らせど自分は生きてる心地がしない。
生きてる心地とは何かもわからない。
首を吊ることは痛みを伴うか。
悲しみと痛みどちらに殺されるのだろう。
わたしは一人残暑にこんなことを考えては一日が過ぎていくのを耐えた。
50年に一度咲く花があるらしい。
わたしは河川敷でそれを見つけた。
竜舌蘭という。
どういう条件が揃ってそれが咲くのかはわからない。
しかし、たしかにわたしはそれが咲いているのを見たのだった。
お世辞にも美しいとは言えず、背ばかりが高く、地面に這った葉は枯れていて、花はチョークの黄色を粉々にしたようだった。
わたしはその奇妙な植物を写真に収めようと携帯電話を取り出した。
母から、今日は祖母の命日だと連絡がきていた。
絶望は時に、現実を拡張し、人間を苦しみに慣れさすことができるのである。