レンタルなんもしない人のツイッターを追っている。
昨日は、弟の自殺の命日と自分の誕生日を一緒に過ごしてほしいという依頼があったそうな。
レンタルさんは感情を露わにしない。
依頼主は、救われるとか、救うとかそういう次元じゃなく、まずは自身が事実を事実として傍観する必要が、あったんだな。
人は必ず感情を持つ生き物で、
私たちは人と接する時はいつも、
相手の感情はこうであってほしいと、
願ってしまうのが人間の性で。
(たとえ無意識下でも。)
しかし、時に人は期待と現実の齟齬に落胆し、みるみるうちに疲れてしまう。
何にも期待されない、何の感情も持っていらない、「人」の存在があればなあなんて思う。
でも私は正直そんなものがこの世に成立するのか、と疑って止まない。
そんな人が人たりうるのだろうか。
たらしめられるのが唯一レンタルさんなのである。
この仕事はこの人にしかできないと思った。
むしろ自らが芸術的要素を孕んでいる。
そんな人にいつか会ってみたいと思う。