眠れない夜は永い

もうこれで最後だと思った瞬間を綴っていきます

ウイルスに塗れた3.11

radwimpsの「世界の果て」を聞いて。

私はあれからどう生きたか?

 

震災から9年経っても、

救えないものが、

あるということを。

わかっていたけれど、

見ないようにしていたことを。

すべてを目の前に突き出された心待ちになって、落ち込んだ。

 

私は被災者ではない。

震災前に、東北に修学旅行に行った。

中尊寺金色堂を案内してもらった。

洞窟の話を聞いた。

バスガイドが、息子が私たちと同い年なんですよと言っていた。

誕生日を祝ってもらった。

 

仙台駅は水没した。

被災者の人をかわいそうだとか、

被災地に貢献したいとか、

そんなことを考えること自体が、

偽善だし、

おこがましいことだと思っていて。

極力、震災は、

得体の知れないものだと、

自分を納得させてきた。

修学旅行でお世話になった人が、

どうなったか、

考えることがそら恐ろしくて。

考えなくてもいいことだと、

自分に言い聞かせてきた。

 

時間が経てば、

救えることと、

救えないことがあって、

それを絶望と呼ぶか、

希望と呼ぶか。

 

どちらにも転がりきれない命が、

この世の中には、混在していて、

互いに殺し合っているような気がする。

 

この9年を私は過ごして、

世界に残されたものは、

絶望以外に言いようがないと。

そういう結論に至った。

 

実際、命を奪っていくのは、

命だし、

守っていくのも命だという

パラドックスとどう向き合って、

これから我々は生きていけばいいのだろう。