仕事を休職することにした。
休んだ方がいいことなんてとっくの昔にわかっていたけれど、年数を重ねるにつれ、仕事をこなすことが自分の輪郭をなぞることだと、私は夢想するようになっていた。
死にたい気持ちなんて、社会人の酒のつまみくらいにしか思っていなかったが、死にたいやつが酒飲みながら仕事をする日本は、自分は終わっていることに、どうして気が付かなかったのだろう。
所在のわからなくなった中高生を相手に、自分は共感するばかりで、無力だった。
むしろ共感に引きずられ、生徒よりももっと深く、取り返しのつかないところまで来てしまった。
救うどころか、十代のトラウマに引きずられ、結果裏切ることになってしまったのだ。
次の死にたいはいつくるだろう。
この精神薬は、飲み続けて大丈夫なのだろうか?
そもそも大丈夫とは、どういうことだろう?
死にたいことを抑えるために、死期を早めているのだとすれば、それは結果、死期を遅らせていることになるのだろうか?
かつて私の目の前で悪口を言ってきた同級生は、やがて赤ん坊を抱いたデブになっているのをFacebookで見た。
次の死にたいがやってくるまでに死んでおきたい。
誰かに心配されるのも煩わしい。
一年経てば忘れてくれるだろう。