眠れない夜は永い

もうこれで最後だと思った瞬間を綴っていきます

不眠症 第五話

胸ぐらを掴まれたような感覚に陥ることは日常的だった。

 

その後は大抵殴られるから、

相手が胸ぐらを掴んだ時点でそれは覚悟できている。

 

概ね他者には期待しないが、

さっきまで微笑んでいた隣人が突如牙を剥くことは、まあよくあることだと踏んでいた。

だから、なるべく隣人には微笑まれたくないし、できるのであれば、隣に人はいてほしくない。

 

そんな私でも好んで会いに行く人がいた。

老いた男で、トタン一枚に囲まれたような、風をよく通す家に住んでいた。

螺旋階段の歩道橋を駆け上がると、小さな丘に上がり、錆びたジャングルジムの公園がある。

たいてい男はそこにいた。

どうしていつも外にいるのかと聞くと、

「俺が死んだら腐る前に燃やして欲しいんだ」と言った。

男はもともと病で足を切っていて、松葉杖だった。

孤独死を厭うていたのだ。

男は古い文庫を多く持っており、よく貸してくれた。

鷗外を好んでいたように思う。

しかし、大抵わたしは読まずに返していた。

書籍でなくとも、男の話で知欲が満たされていたからだ。

しかしその日、男は珍しくわたしに一冊も貸さなかった。

「人と人はなんの繋がりもないんだ。なんの共通項もない。明日会うかもわからない。今日この場かぎりの、この一瞬の関係なんだ。親子だってそう。ただ腹から生まれただけの関係。親切に育てられてもそうでなくとも、何も期待しちゃいけないんだよ」

そう言って鰯雲の向こう側に消えていった。

次の日の夕方、いつもの公園にはその男の姿が見えなかった。

その次も、またその次の日も。

とうとう孤独死を遂げたのかと思い、男の家を訪ねたが、不在だった。

 

その後わたしはその土地を離れることになり、男と再会することはなかった。

先日近くに用があり、男の家に行ってみたが、そこは更地になっていた。

放火のもらい火で全焼したそうだ。

 

絶望は時に人と人との密接な関係から解放してくれる。

絶望は決して世界に期待しないから、「いい」のである。

 

不眠症 第四話

わたしは仕事をしていた頃を思い出していた。

 

高校生を扱う仕事だった。

いわゆる進学塾である。

 

ある生徒に、短期記憶を失う症状が出た。

中学時代いじめに遭ったことが原因で患ったPTSDが原因だった。

その生徒は塾を辞めなければならなくなった。

上司はそれを嘲笑った。

「物忘れが多いのはもともとだろう」と。

喉元が抉られるような感触を覚えたのはそれが初めてだった。

その子がかわいそうだと思ったのではない。

思春期の後遺症を抉られたような思いがしたのである。

 

わたしは上司の退勤するのを待ち、21時過ぎ、その上司の吸っていたタバコを箱ごとゴミ箱に捨てた。

まだ8本は残っていたように思う。

 

わたしが出会った生徒は皆、弱いが繊細でとても頭がずば抜けて働く良い子たちばかりだった。

あまりにも繊細で敏感だから、目に、耳に入る情報、肌に触れるものすべてを、血肉に吸収せずにはいられない質だった。

だから、わたしのもとを去らなくてはいけなかった。

タバコ上司のもとにおいていてはいけない生徒ばかりだった。

わたしは手放したくない生徒を夢で追いかけてはそのたびに見失った。

 

絶望はなにも、今あるものだけとは限らない。

絶望は時に弁を破り、逆流をして、わたしたちに悪夢を見せることもあるの。

 

不眠症 第三話

いつまでこんな生活を続けるのか。

貯金が尽きれば自ら命を絶とうと思う。

祖母がいた空き家で。

首を吊って死のうと思う。

待てど暮らせど自分は生きてる心地がしない。

生きてる心地とは何かもわからない。

首を吊ることは痛みを伴うか。

悲しみと痛みどちらに殺されるのだろう。

わたしは一人残暑にこんなことを考えては一日が過ぎていくのを耐えた。

 

50年に一度咲く花があるらしい。

わたしは河川敷でそれを見つけた。

竜舌蘭という。

どういう条件が揃ってそれが咲くのかはわからない。

しかし、たしかにわたしはそれが咲いているのを見たのだった。

お世辞にも美しいとは言えず、背ばかりが高く、地面に這った葉は枯れていて、花はチョークの黄色を粉々にしたようだった。

わたしはその奇妙な植物を写真に収めようと携帯電話を取り出した。

母から、今日は祖母の命日だと連絡がきていた。

 

絶望は時に、現実を拡張し、人間を苦しみに慣れさすことができるのである。

不眠症 第二話

わたしはわたしでいられなくなった。

わたしがわたしでいることによって、世界に害悪をもたらしているように感じた。

なにより、わたしがわたし自身を苦しめていた。

だから、わたしがわたしでいてはいけない気がしていた。

俗に言う希死念慮の類である。

 

他人に打ち明けると、声を揃えて少し休んだ方がいい、と言った。

楽しいことを考えて美味しいものを食べて、よく寝たら次期に治るよ、と。

 

「わたしがわたしでいてはいけない」ことには誰も言及しなかった。

死に対する憧憬は、内臓に彫られた刺青のように、他者は言うまでもなく、私自身にもはっきりとしない物として、それでいて、痛みを伴いながら刻み付けられていることがわかった。

 

母親に希死念慮を打ち明けた時には、泣いて怒りを表した。

どんな思いで産んだと思っているのか。

そんな悲しそうな顔を見ていると、母親の悲しみを生み出してしまったのがわたしだという事実に愕然とし、ますます「わたしがわたしでいられなくなった」。

 

ニュースではここ数日、幼児置き去り事件を報道し続けていた。

30℃を超える残暑、送迎バスに5歳の園児が取り残され、助けを求められないまま熱射病で死んでしまったというのだ。

バスから園児たちを下ろす時に確認を怠った大人たちは責任を問われ、謝罪会見。

警察による現場検証。

保護者説明会の怒号。

そんな報道が連日行われ、テレビ出演者たちはそろって悲痛な表情を浮かべていた。

幼い子供を持つタレントで、涙を流す者もいた。

わたしはそんな報道をぼーっと眺めながら、

2週間ほど前に近所で起きた異臭騒ぎを思い出していた。

真夏の炎天下、日を追うごとに異臭が強くなっていく長屋を不審に思い、近隣住民が通報をした。

警察がドアをこじ開けると腐った老夫婦の遺体が見つかった。

熱射病だったという。

80代老夫婦のその長屋にはエアコンが設置されておらず、死亡から2週間以上経っているというのに、発見時には40℃以上の高熱があったそうだ。

住民は異臭の所在がわかり、安堵の表情を浮かべていた。

その事件が取り上げられたのは、地方テレビの夕方のニュースで30秒ほどだった。

 

絶望のガラス管は濁水を溜め沈澱し、わたしのため息を通すには不十分な狭さだった。

不眠症 第一話

2、3年前から不眠に悩まされていた。

今の塾の仕事に転職したと同時に一人暮らしを始めた。

そのタイミングから、悪夢を見るようになった。

夜中に飛び起きた時、スマホから放たれる無機質な数字は2時や3時を示していた。

やがて3ヶ月ほどすると、悪夢を見ることは少なくなった。

しかし今度は、睡眠中に脳がぐるぐると動き出し、ひとりでに仕事をするようになった。

身体は眠っているのに、脳だけが狂ったように回転し出すのであった。

実際わたしはバイトのシフトを組む仕事をしていた。

それが睡眠時にも脳裏で再現されたのである。

それ以外にも、仕事であった嫌なこと、上司に言われた嫌味や、先輩からのミスのなすりつけなど、日中はそれほど気にせずやり過ごせていたことが、就寝中ものの見事にフラッシュバックされた。

寝起きの朝は言わずもがな最悪の気分で、最悪な気分のまま、飯を食べ、最悪な気分のまま、電車に乗り、最悪な気分のまま、出勤した。

休日は会社から法定通りに与えられていたものの、そんな最悪な気分を解消するには、あまりにも短かかった。

ため息が絶望というガラス管に充満し、割れてしまうのも時間の問題だった。

 

葬式でかける曲

人志松本の酒のつまみになる話で、空気階段の水川かたまりが自分の葬式で何をかけてほしいか、というのを話題に上げていた。

各々が思い入れのある曲を挙げていたが、自分がいない場所で自分が流す曲を選ぶっていうのはどこか違和感を感じた。

死んだのは自分だし、自分の葬式だから好きなようにしていいはずだが、肝心の自分がそこにいなければ、どんな曲をかけようが、それは関係ないではないか。

自分のために親交のあった人間が集まって、自分の好きだった曲を流し、自分のために涙するものもあり、自分のために手を合わせる。

しかし、当の本人はその光景を目撃することはできなくて、しまいには焼かれて亡骸になる。

下手な芝居もいいとこだ。

私だけが参加することのできない私の葬式にかけてほしい曲なんて私にはない。

 

 

 

ヤクルト10000

今までどうやって生きてきたか忘れてしまった。

死ぬまでの暇つぶしにしては長すぎる。

今後ひとりで生きていくには長すぎる。

そう、とっくに心は死んでいたのだった。

終わりの見えない日々をしがんで

ただただ息をしているだけ。

トイレットペーパーがなくなったときに

芯が間抜けに空回りするように、

自分も思わぬ拍子に身体が無くなればいいのにと思う。